やれば、できる

 

  皆さん、おはようございます。今朝は最近聞いた 「やれば、できる」という講演を紹介させていただきます。「やれば、できる」ひらがなでたった6文字のタイトルですが、心に深くひびきましたので、若い皆さんに ぜひ お伝えしたいと思います。

  (平成17年12月16日 朝の祈り) 

 

  お話くださったのは、小柴昌俊先生、そう、3年前にノーベル物理学賞を受賞された先生が 柳川で 講演されたものです。ご自分の体験から、誰でも何かを「本気でやれば、できるものだ」ということを示されました。先生の言葉を借りますと、

「やれば、できる」。ただし、物事には、自分だけでやらなくてはいけないものと、自分ひとりでは出来ないもの の2種類があります。私は、旧制中学の頃に小児麻痺にかかりましたが、その克服は自分だけでやらなければなりませんでした。一方、「平成基礎科学財団」は多くの人々の協力によって設立することが出来た例です と。一つずつ話しましょう。最初に 

 自分だけでやらなくてはならない 

先生のお母さんは3歳の頃に亡くなられた。お父さんは軍人でした。小学校4年の時、お父さんが満州に転勤ということになって、満州、今の中国へ家族と共に赴任された。昔のことですから、その時、「お前は長男の跡取だから日本に残って勉強しなさい」と一人日本に残され、叔父さんの家に預けられた。旧制中学1年の時、小児麻痺に罹った。ある朝、起きようとしたら手足が全く動かない。芋虫みたいにごろんと寝床の上で動くしか出来なかった。幸い命は取り留めたが、ご飯もトイレも風呂も自分ではできなかったそうです。あいにく、叔父さんの家のお手伝いさんは若い20歳の娘さんだったそうで、中学1年生の男の子にとっては、その娘さんにトイレや風呂の世話をしてもらうことは死ぬほど惨めでした。何とかそれから逃れたいと思ったのが、小児麻痺からの立ち直りに繋がりました。毎日少しずつ必死に体を動かしているうちに、少しずつ麻痺が治って、両足と左腕が少しずつ使えるようになってきたそうです。四つん這いになって階段を下り、トイレや風呂も何とか自分で出来るようになった。

 次は、今からどうやって生きてゆくか?やはり中学位は卒業しておかなくてはならないと考えて、学校に通いたいと思った。しかし、バスは昇り降りのステップが高くて上がれない、仕方がないので、ヒョロヒョロと2時間かかって片道4キロを歩いて通ったそうです。しかし、そのお陰で 両足と左手は動くようになったそうです。右手は今も不自由だそうです。小児麻痺からのリハビリは 自分ひとりで何とかしなければならないことだったが、やったらできた、という話でした。

 

  次は ほかの人に力を借りなければ何もできない 話

先生は今、「平成基礎科学財団」の理事長です。この財団は、基礎科学、たとえば小柴先生ご専門の物理学のように、実験一つするにも ものすごいお金がかかるが、その結果がすぐに社会に役立つわけではない、つまり儲けにつながらない、そんな基礎的な研究をする研究者に、奨学金や研究費を支援してあげる財団です。財団を作るには、最低1億円の基本財産がいるそうですが、ノーベル賞の賞金をはじめ自分の出せる財産をすべて出したが、4000万円しかない。1億円に足りない分は、親戚や友人・知人に頼んで回って引き受けていただき、1億円はできた。

これで財団は出来たが、研究者にあげるお金は別に集めなくてはならない。基礎科学の振興だから、すぐに利益が上がるような研究ではなく、企業からの寄付は期待できない。そこで、智恵を絞って 「皆さん、日本の基礎科学を応援するために1年に1円の寄付をしてくれませんか?」というキャンペーンを始めたそうです。日本人は1億2千万人いるから、1年に一人1円でも1億2千万円が集まります。先生一人ではとても出来なかったことが 多くの人たちの協力によって出来たのです。

 「やれば、できる」。 ただし、自分だけでやらなくてはいけないものと、自分ひとりでは出来ないもの の2種類があります。皆さんの学生生活でも、たとえば 試験は自分が勉強して受けるもの、また先月の信愛祭(文化祭)はみんなの力を合わせたから、あんなに素晴らしいものが出来たのですね。 小柴先生の話は遠いところの話ではなくて、皆さんの人生でも起こっていることです。「や・れ・ば、で・き・る」の話でした。参考になれば幸いです。これで今朝の話しを終わります。  

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